第９話

　結局朱美は会社を辞めることにした。長期間の休暇を取るにも、理由をどう
説明したらいいのか分からない。こうなったら、昔あきらめかけてた海外留学
を考えるのもいいかな、と言う気分転換をして、後腐れのないような形で再出
発を決意したのである。タケシとはもう別れた。かといって、ベビーフェイス
男ともあまり続かなかった。アブノーマルなセックスで結びついたが、彼の方
はＯＫでも、朱美がついていけるわけはなかった。元々そういう趣味ではなかっ
たのだから。
　精神的に参って少し痩せてはいたが、朱美は今でも、道を歩けば男たちが振
り向く美しい女だ。独りになって、バーで一人で飲んでいれば、必ず誰かが声
をかけてくる。そうは言っても、彼女はいい歳して見知らぬ男の甘い言葉に乗
るような軽い女ではない。
　最近は自分の裸を見て下半身が爆発するようなことはなくなった。と言うか、
自身でそうならないよう、濃いサングラスをしながらシャワーを浴びるなどの
工夫をするなど、悪夢のような思いをしないよう努力したためである。その代
わり、３日に一度くらいのペースで、夢精していた。朝になるとパンティーが
伸び切って、しかも白濁液でベトベトになっているのである。でも、人知れず
それさえ我慢していれば、なんとか普通の生活は出来るのではないか、と、朱
美も少しずつ自信を取り戻してきていた。男とセックスするときも、電気を消
して暗くすれば、自らの身体に興奮したりせずに済む（そもそも女の性は視覚
とはあまり密接ではないので、それで困らない）。
　少しずつ普通さを取り戻していた朱美の最後の悩みが、夢精する夜に見る夢
だった。夢を覚えている日はそれほど多いわけではないが、覚えている限りで
は、夢精する日は必ず自分が誰かにレイプされている夢を見るのだった。しか
も、その視点が自分自身ではなく、レイプする男の視点で夢を見ていた。恐怖
におびえる自分を見て喜んでいる自分、とても正気で考えるに耐えられない夢
だった。当然そんな夢を見た日には、そのことが頭の隅にこびりついて離れず、
マニュアル翻訳のバイトも、英会話教室でのレッスンも身に入らなかった。

　９月最後の金曜の夜、朱美はばったり道でベビーフェイスに再開した。道で
すれ違うとき、彼女はうつむいて無視しようとしたが、彼はいかにも気さくに
彼女を呼び止めた。
　「久しぶりじゃん。元気してた？」
　朱美の方にも少しはまだ想いが残っていた。２人は近くのバーで飲むことに
した。そこは、タケシと付き合い始めるまでよく女友達と通った「ピテカント
ロプス」だった。
　「いらっしゃい、あら、アケちゃん久しぶりねぇ。」
　オネエ言葉で店長が懐かしそうに朱美に声をかける。久しぶりにこのグラム
ファッションを今でも愛好している店長に話し掛けられ、恥ずかしかったが、
ベビーフェイスの方がそんな店長に好感を持って、彼女が常連だった頃の話を
聞きたがる。
　「なんだ、アケミ、ここの常連だったのかい？店長さん、彼女の昔話とかあっ
たら教えてよ。オレたちまだ付き合い始めたばっかりで、コイツのことよく知
らないもんだから」
　付き合い始めたとか言って、調子いい男ね、と思いつつも、ベビーフェイス
の笑顔を久しぶりに見るのがちょっと嬉しかった。
　それから、店長は彼女の常連時代のことをいろいろと話し始めた。