その日はとうとう一歩もマンションの外へ出ることがなかった。
人と話したのは、朝休暇を伝えるために電話した上司と、昼間に
来た新聞勧誘のニイチャン（もちろんドアを開けることはなかっ
た）だけだった。タケシ（朱美の彼氏）はまだ知らない。自身か
らこんなこの世の出来事とはおよそ思えないことを彼に伝えるな
んて不可能だと思ったし、第一それは顔から火の出るほど恥ずか
しいことだ。
　そうは言っても、１１時頃、つまりタケシがいつも帰宅する時
間に、彼女の携帯が反応した。
「もしもし、オレだよ、今日はちょっと涼しかったね。そう言え
ばさ、こないだ行ったトンコツラーメン屋、今週号のぴあに載っ
てたぜ。なんかオレたちが行った後から急に人気が出てるみたい。
また行こうぜ。そっちはなんか変わったことはなかったかい？」
「えっ、えぇ、特に何も。」
「そうか、あ、こないだつけてきたシルバーのブレスレット、イ
カしてたぜ、オレも欲しいから今度連れてってくれよ、買った店
へ。じゃ、今日はこの辺で。」カチャッ。
　今日は機嫌がいいみたいで、一人でいっぱいしゃべってさっさ
と電話を切ってしまった。そんな威勢のいいところが朱美は好き
なのだが、今日ばかりはこちらの悲しみを悟ってくれないタケシ
に強い切なさを覚えたのだった。
　気晴らしにコンビニへ行くことにした。マンションの１階にあ
る便利さゆえ、朱美はよくパジャマの上にジャージを羽織った程
度の格好でコンビニを利用する。そう言えば今日はａｎａｎの発
売日だっけ、などと考えながら立ち読みを始めたら、すっかり気
分が立ち直ったかに思えた。
　となりではかなりがたいのがっちりしたタイプの大学生が立ち
読みをしている。朱美はけっしてマッチョタイプの男性が好み、
と言うわけではないが、強そうな肉体にベビーフェイスの男の子
にめっぽう弱い（タケシは優男タイプなんだけどね:-)）。彼が
読んでるのは青年向けエッチ雑誌。
「クールな表情してるけど、きっといろいろ想像してるのね、な
んだかカワイイワ。」
　そんなことを思っているうちに、なによ、ちゃんとまだ自分の
中に女の子の感情があるじゃない、と、ちょっとホッとした。
　自分はファッション誌をめくる、ベビーフェイスの彼は青年誌
をめくる、となりを意識しながら、こんな時間がいつまでも続け
ばいいな、と、朱美は思った。
　彼は大胆ポーズのヌード写真のページを次々とめくっていく。
次の瞬間、彼女は急に頬が染まるのを感じた。タケシからよく
「お前って高島礼子に似てるよなぁ」と言われる高島礼子その人
のグラビアだ。その次のページには彼女の秘蔵の水着写真が載っ
ていた。それを覗いていた彼女は急にクラクラッと来て、頭に血
が昇るのを感じた。ポタッと赤い滴が落ちる。鼻血だ。彼女は慌
てて上を向き、読んでいた雑誌を棚に戻して店を出た。股間には
再び勢いづいた腫れ物がパンティーを突き破らんかと言う勢いで
震えていた。鼻血が止まり、落ち着いてきたところで、今度は彼
女の潤んだ瞳から涙がこぼれ落ちた。自らの得体の知れない不幸
な運命を嘆く涙だった。